穂高
mountain ski back country
通信販売法 お問い合わせ
商品カタログ
goods
旅日記

   穂高ウォーカーたちの 旅日記

赤城山ハイキング
に出かけましたが、あいにくの雨で麓で帰ってきました。群馬県の100名山のひとつまで登りに出かけて、雨だからといって麓で帰ってくるとはなんたること!と怒られてしまいますね。実は、27日(土)、28日(日)と日本登山医学会のシンポジウムに参加していて(28日はサボりました)、ついでにといっては赤城山に失礼なのですが、「また来ればいいっか!」でした。毎度のことですが先輩の本郷さんご夫婦と、早稲田大学比較法研究所に中国から留学生としてきている、蘇明月さんも一緒でした。言い訳を継ぎ足すなら、ハイキング初めての蘇さんに楽しんでもらうのに、「雨」はかわいそうでしょう。ということに・・・。そこで本郷さんが帰り道に寄ってくれたところが高崎市の『白衣大観音』、観音山から高崎市街地を見下ろす観音様は、1936(昭和11)年に実業家井上保三郎氏に建立されてから高崎のシンボルとなりました。その慈悲深い優しいまなざしはまるで私たちの平和を見守っているかのように思えます。2000年に像としては初めて国の登録有形文化財に選定されています。高さは41・8mで地上9階建に相当し、重さ6000tのコンクリートで作られた像は、胎内を拝観することもでき、胎内には20体の仏像があります。胎内のトップの小さな窓からの妙義山が感動的。
* 実は僕、ここの駐車場のトイレで着替えをした際、ポケットの財布を棚の上に置き忘れて、東京まで戻ってしまいました。警察には届け出をしたものの、気持ちはブルー!ところが見つけて届けてくれた人がいました。今日そのものが藤岡警察署から〒で届いたところです。このページを借りてお礼をします(ネットワークが小さくて届かないでしょうけど)。

高崎市まで戻ってくると空も青空がチラホラこんな立派な観音様を、昨年の中山道ウォーキングの、時速4キロのスピードでも見つけられなかった(印象がなかった)。
房総半島鋸山
ちょっと仕事をサボって(表向きは日山協の海外登山研究会に行ってくることになってます。アリバイすぐ崩れますが・・)、京都の小林君の写真展へ、京都から新幹線に乗ったまではよかったのですが、寝てたら乗り過ごしてしまって気がついたら東京でした。ここまで来てしまったら、お世話になる人は、先輩の本郷さん。娘さんのアキちゃんがアルバイトしてる沖縄料理店「ちゅらさん」で夕食ご馳走になり(おいしかったなあ、また行きたい)、本郷邸へ、翌朝は曇り空でしたが、ちょっとハイキングに出かけました。房総半島の金谷港から一気にせり上がって標高こそわずか329mの鋸山ですが、個性的な印象にのこる山並み。むき出しの岩壁が連なる様相は、その名のとおり鋸の形をしています。この山全体を境内にもつ日本寺から御影石の石段を登って山頂まで、ゆっくり鑑賞しながら歩いて約1時間。十万余坪(33u)の境内には、昭和44年6月、四ヶ年にわたる復元工事によって再現した総高31.05メートルある名実ともに日本最大の大仏さまが構え、圧倒されます。この大仏さま、正しくは「薬師瑠璃光如来」と称されるそうで、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることをあらわしたもで、世界平和、万世太平の大象徴として復元建立されたものだそうです。石段を登ること20分くらいで今度は、高さ100尺(30.3m)、大きさの由来通りの百尺大観音石像に出会います。これは昭和41年5月、6年を費やして鋸山の岩肌に彫られたそうで、発願の趣旨は、一つには戦没者供養のため、また一つには、近年激増する交通犠牲者供養のためだそうです。山頂にたどり着く頃は、汗ばんだ肌が、春の訪れを感じさせ、東京湾を見渡せるパノラマが待ってました。きっともっと好天時になら、三浦半島、伊豆半島から伊豆七島さらには富士山?と見渡せる一大パノラマが広がるのでしょうね。十分満足でした。降りてきてから立ち寄った、呑海楼で、ピンクに咲き誇った梅の花を見ながらのお抹茶セットも最高でした(土・日曜限定だそうです)。山間部ではまだ吹雪き、積雪3mなんて世界があると思えば、こちらは南国たっぷり気候、梅の花が満開ですよ。こんな自然の格差を身近に感じると、小さな島国とはいえ自然の広大を感じざるをえない充実した1日でした。
大仏さまの前でH先輩夫人と

梅の花が咲き誇る日本寺の境内入口付近
恵那山ピークハント
いつも僕たちと山登りを供にしてるOさんの友人Sさんが、山登りを始めたいとのことで、先月ひと通りの道具を揃えてもらいました。登山は未経験ではなく、ある集団(観光ツアー?)で中央アルプスの千畳敷へロープウェイであがって、行ける所まで行こうということで、普段着のまま行ったところ何と宝剣岳の頂上まで行けちゃったそうです。得意げにその話をOさんにしたところ「あんたね〜・・・・」とお叱りを受けたそうです。よほど説得力があったようで改心して道具を買いに来てくれたというのがあらすじです。「そうなんですよ!倫理をきちんと伝えれる、リーダーがたくさん点在してくれれば、事故は減り、快適登山になるのですが、お店もいいものが売れて・・・」。ということで何処か連れてってくださいねという初期の約束を果たして来ました。時期なのか?平日だからなのか?わかりませんが登山者たったの5人(我々3人を除いて)。遅い紅葉といい、雲ひとつない快晴といい、初心者のSさんが、「また山登りに来たい」と思えるには最高の条件でした。バレー(ボールじゃないほうです)・水泳とスポーツを継続しているだけのことはあって体力的には「Very Good」の彼女でしたが、昨日お礼にと和菓子を持ってきていただいたときには、「腿が筋肉痛で・・・」と嘆いておいででした。不整地の登山道の登下降は立体的でバランスを支えようとする筋肉を屈指しますからね。「経験こそ最大の体力なり」ですよ。が、経験を継続できる体力・山に行く時間が大切ですかね?いつものことですが、いくら暖かいシーズンといえども紅葉してる季節に、Tシャツで汗ボタボタ、息ハアハアの高年登山者に追い越されっぱなし、何ででしょうね。「ライト&ファースト」、業界言葉の実行組みですかね?
健康の森ウォーキングエクササイズ

愛知県山岳連名所属の三河クラブのYさんとその友人のKさんとウォーキングエクササイズしました。蓼科山に一緒だったNさん姉妹も参加予定でしたが、風邪を召されたようで・・・。エアコンの中お腹出して寝てたんじゃないの?子供がよくやる「寝冷え」ってやつですよ。それってことは若いっていうことですよね。一緒に汗かけば吹っ飛んでいったかもね。最近、山歩きをしてる方々の足・膝の痛みをよく耳にします。サポーターを付たり、タイツを履くと痛みがなくなるなどと、商品を売るための過剰宣伝も無きにしも非ず(うん!中高年になったらちょっとでもためになるものは何でも使う。鉄則だ!)なのですが、やっぱり自分で鍛えた筋肉が主役ですよ!今日はウォーキングの中から「正しい動作・重心移動」というテーマで、踵から着地してつま先で蹴り出すというややジョキング系の動作の習得をしてみました。習得といってもむずかしいスキル(技術)ではないのですが、みなさんが日常で歩いている行為は移動手段としてですから、そんな「意識」をもって移動している人は少ないと思います。このスキルには「意識」がポイントで、筋肉を鍛えるというより、動きの神経を発展させるのが目的です。拇指球を中心に指先を反らせながら踵から着地し、重心移動と共に拇指球を中心として蹴り出し(送り出し)ます。始めはロボットみたいにギクシャクという動作でしたが徐々によくなっていきました。4.5キロのいきいきコースを講習反復しながら約2時間のウォーキングに「筋肉に張りがきましたか?」と尋ねると、「あんまり」て返事が・・・。「おいおいアドバイス通りしっかり歩いているか?」と問う前に、今日は講習だからまあいいか!次回はこのコースを一定の速度・歩幅で継続して歩いてみることにします。アップダウンもありますから「一定の速度・歩幅」となると筋肉に張りが来ると思いますけどねえ。

蓼科山ウォーキング(登山かな?)
7日の木曜日から、Nさんご姉妹と白山の予定でしたが、一昨年に僕が「梅雨時でも前線の動きによっては谷間でいい天気にめぐり会えるかもしれないから」と期待をもたせて出かけたのが、逆にすごい雨にめぐり会ってしまいました。その経験から「もう天気が不安定のときには行きたくない」と強調されていたので延期にしましたが、日帰りできる山(2000m以上で)に行きたいからということで、恵那山と蓼科山を候補にあげましたが、天気概況の降水確率を見ると八ヶ岳周辺のは10%未満で晴れマークもついていましたので即、蓼科山に!そればかりではなく、恵那山は日帰りプランなら広川原コースを辿りたいのですが本谷川上流を徒渉するところがあって、集中豪雨が勃発しているこの時期に徒渉は避けたいかな・・・。。特に午後2時以後の下山時にさしかかる場合は!
登山口の女神茶屋からは距離こそ短いものの勾配があるため案外筋肉を使います。会話が途切れ途切れになるような心拍ペースでは登らないよう気をつけましょう。カラマツ・ミズナラ林の笹原から1900m付近まで上がるとコメツガ・シラカバに変わります。ご婦人方は森に住む鳥の声はきれいと感動されていました。余裕ですね。2113mのコブまでの急登が終わるとすぐ頂上まで標高差約300mの急登がお待ちかねでした。梅雨時期らしく360度の展望というわけにはいきませんでしたが、谷間のいいウォーキングでした。

女神茶屋から登山道に入ってすぐのクマザサ・カラマツ・シラカンバの美しい森、ウォーミングアップに最適環境です。

蓼科山頂上でのかしまし娘(昔の?)梅雨の真っ只中でも本州中央に位置する北八ヶ岳は以外に好天?
筑波山ウォーキング
7月3日(日)の夕方、東京で日本人のヒマラヤニストには馴染み深いパル・テンバ・シェルパさんの来日ウエルカムと竹内岳洋君と加藤慶信君のチョモランマからの帰国パーティーが行われ、一緒に出席する先輩の本郷三好さんから「前の日に来て家に泊まらない?」とお誘いを受けたので尻尾振って上京しました。パーティの始まる日曜日の午後6時まで時間があったので筑波山876m(何と深田久弥の100名山のひとつ)にウォーキングに出かけました。深田久弥氏は百名山を選ぶ基準のひとつに標高1500m超という基準をあげてみえました。しかし、例外もありで、九州南端の開聞岳とこの筑波山でした。例外の根拠は歴史で、宗教的登山が行われる以前から遊楽の山として若い男女に登られ、歌を掛け合う遊び「かがひ」が目的だそうで、意気投合すれば、一夜をともに過ごす結婚の儀式にもなったと伝えれています。男女2神、縁結び・夫婦和合を奉る、双耳峰の男体山にはイザナギの男体祠、女体山にはイザナミの女体祠が立ち歴史を感じました。どちらの山頂からも見渡せる関東平野は圧巻でした。
南側にはケーブルカーが、東側にはロープウェイが運行されているので、年齢・体力に合わせてウォーキングコースが選択できるのがいいですね。この日も子供さんから年輩の方々まで万別でした。いつもながら気になるのは、年輩の方々のシャツからスラックスまでびっしょりの発汗量と呼吸数の多さです。オーバーワークに気づいてほしいなあ。勾配がある自然歩道はゆっくり歩いて健康ウォーキングになることお忘れなく。

筑波神社前でいつもお世話になっているH先輩夫人と・・・

梅雨時のほんのわずかな雲の切れ間から関東平野を望む(女体山頂上の岩峰から)
2005年4月27日(水)
中山道旅日記・追伸
13時過ぎに着いた日本橋ゴールを後に木村さんが「ちょっと東京見物を」と言われたので、僕が東京出張で、夕方仕事が終わってから先輩の本郷さんと夕食をしたり、泊めて頂く前の時間潰しに時々利用してる『東京を発見する小さな船旅』隅田川クルージングに出かけました。日本橋三越前からメトロ銀座線で浅草へ、桟橋でクルージング時刻を確認して、日の出桟橋までの切符を買ったあと完走を祝して浅草寺・浅草観音にお参りしました。海外の観光客で賑わっていましたよ。パックを背負って日焼けした僕の顔を見て、「Walker?」と聞かれて「Yes」。「Oh!Good」だそうです。かなり体格のいい中年女性でしたからお国でもウォーキングを推進されているのでしょうね。桟橋に戻ると木村さんが、「お台場海浜公園までどうですかねえ?この際だから・・」と切符を追加しました。最初の桟橋『吾妻橋』から今は開かずの『勝鬨橋』まで13の橋をくぐります。「春のうららの隅田川・・」には風が強かったですし、「上り下りの船人が・・」はもういませんし、歌通りにはいきませんが、佃煮の元祖、佃島付近には昔の面影が少々ありでした。東京都観光汽船の観光案内、録音案内じゃなくて生のガイドさんの声案内でした。「これで¥600なら安い!」締めくくり旅もよかったです。
仕事をしながらでも26回で完走出来ました。この旅日記をご覧になってちょっと興味をもたれた方はヒントに挑戦?(大げさですね)していただけたら幸いです。完走したことが云々ではなく、この体験が日常生活の中で「歩く」ということがなんでもない習慣になっていくことの方が生涯スポーツとしての『ウォーキング』の意味がある気がします。いつまでも健康であることを祈念して・・・・!

大きな提灯を下げた浅草浅草寺の総門「雷門」

628年創建、都内最古の寺院浅草寺の境内

カモメが寄ってきたので急いでシャッターしたのですが・・・。後方は厩橋。
2005年4月27日(水)
中山道 その26 蕨宿〜板橋宿〜日本橋
いよいよ今日、踏破完成となると、たかがウォーキングでしたが熱いものが込み上げてきますね。目標は「達成」よりその「過程」にあり!のような気がして・・・。昨日は予定より早く着いたのでゆっくり郷土資料館を見れたし、その足で街はずれの温泉施設でゆっくり入浴もでき感激!さらに入浴後に寄った創業300年の老舗うなぎ処『今井』さんのうな重にもうっとり!本日のうなぎ「宮城産」と紹介されていました。愛知県の炭で直接焼く焼き方とは違っているようで、初めに蒸してから焼くそうです。78歳を迎えられた大女将さん(えっ!ホント?とういくらい若かったですよ。写真撮らせてせてもらえばよかった)からは「家の主人が生きてたら中山道歩いているなんて聞いたら夜を通して話したがりますよきっと」と微笑んでいただきました。「ありがとう!」。街を通じて歴史を残そうと努力されている蕨宿を後に埼玉と東京を結ぶ大動脈荒川に架かる『戸田橋』を渡りいよいよ東京都に入ります。板橋の旧中山道清水坂を登るまではひたすら現在の国道歩きですが、板橋区志村一丁目には一里塚がほぼ原型で街道の左右に残されていていました。交差点は志村一里塚、通りにも一里塚通りなんていう名称が付いているのは、科学の街東京都としては微笑ましいことです。交通量の多い国道から中に入ったり出たりを細かく繰り返しながら、路面が石畳風のブロック舗装の旧中山道板橋宿に入ります。上宿・仲宿・平尾宿(下宿)の3つに分かれている約2キロの宿場町は今はたくさんの商店が集まって生活の供給源として栄えているように見えました。僕たちの生活圏は都会のようで田舎環境が、大手スーパーの進出を拡大させ便利さだけが強調された合理的供給源に対し、買い物かごの付いた自転車や、バックを背にして商店街のストリートの小さな個人専門店を転々としながら、「昨日のあれねおいしっかたわ、今日はないの?」なんて会話をしながらの姿に「これ大都会東京のスタイル?」なんて。イメージの違った新鮮で微笑ましいスタイルを体感させていただきました。まあ、たま〜に行ったから新鮮さを感じただけかもしれませんが・・・。続いて巣鴨の街並みに、通称チンチン電車と呼ばれる都電荒川線の踏み切りを渡るとと急に雑踏となり、高岩時の『とげぬき地蔵』がお目当ての高齢者の人ごみを右往左往しながら巣鴨駅に。さすがに「おばあちゃんの原宿」と言われるだけのことは・・・。この街も庶民の香りたっぷりでした。駒込・本郷・御茶ノ水と大学が乱立する(といっても目につくのはやはり東京大学ですが)街並みを越えて、風格たっぷりの日本銀行前を通過して日本橋ゴール!感無量の長旅でした。
蕨宿歴史郷土資料館

志村一里塚跡の隣の昔の面影を残した雑貨屋さん波打ったガラスなんて年代ものです

現在の板橋。江戸時代は木製の橋、だから板橋?

偶然通りかかった都電荒川線のチンチン電車

終点、出発点?お江戸日本橋です。

2005年4月26日(火)
中山道 その25 鴻巣宿〜桶川宿〜上尾宿〜大宮宿〜浦和宿〜蕨宿
早朝着いた東京駅は小雨でした。前回は高崎線の終点高崎までの約2時間の列車旅でしたから安心してぐっすり眠れましたが、今回は約1時間なので寝てしまうと・・・と思いながらもウトウト。木村さんに起こされなかったら、間違いなく終点高崎でした。「ほっ!」。朝6時に鴻巣に着き、東京では小雨だったのがここでは薄青空で、高崎線に乗ってすぐ準備したレインパンツは早々に脱ぐことに。まだ閑散としている駅前から高崎線と国道17号線に並行して挟まれている旧中仙道(今は県道です)に出て、ひたすら道路脇の幅細い歩道を歩きます。初めは少なかった人通りも通勤・通学の自転車歩道に・・。その人たちにとっては「もう少し歩道幅が広ければいいのに!」と勝手な言いくさを発しながら『我が道を行く精神』の2人のウォーカーは邪魔くさかったでしょうね。桶川宿から先は邪魔にならないようJR高崎線の線路脇の小道を地形図で検索して大宮宿まで。歴史的な事前学習をせず、ただトレースだけを意図している僕はさらに効率よくと最短道を検索して行こうとすると、木村さんから「大宮宿には氷川神社というのがあって、そこは参拝していきたいですね・・」と。大宮公園はソメイヨシノと赤松が鬱蒼と茂り、オアシスの森って感じでした。2週前だったらここの桜もきっと圧巻ですよ。次回来る機会があるなら記憶しておいて桜の最盛期に通過しよ!。隣接する氷川神社は境内もさることながら表参道入り口一の鳥居から本堂まで「並木十八町鉾杉つづき・・・」と唄われているほどの鬱蒼と茂った樹木の約2キロの参道に圧巻!でした。現在、大宮宿・浦和宿は、大宮・与野・浦和が合併してさいたま市となって4年目を迎えていますが、東京の通勤圏内として発展を続けているようでした。与野の東からさいたま新都心の東まで約1.5キロ間のケヤキ並木は都会・近代化した歴史街道に安らぎを与えてくれています。浦和宿を過ぎたあたりから、肌に感じる風が冷たくなり、空は黒い雷雲系に、遠くで「ゴロゴロ」と雷音さえ・・、旧中山道は高崎線から西に1〜1.5キロ離れて行きますが、自分の判断で雷付、豪雨が来たときに避難しやすい陸橋の多いJRの線路沿いの方がいいと思い、またまた、いんちきトレースでしたが大正解。南浦和駅から500mほど線路沿いに上ったところの屋根付駐輪場で30分雨宿り、一時は風雨と雷を伴った嵐でした。待機中寒くて雨具を上下身に着けたくらいですから、上空にはかなり冷たい空気が入ったんでしょうね。雷もその影響でしょう。状況判断にやや鼻高々!またいんちきトレースのお陰で30分も待機していたにもかかわらず、蕨宿に予定の1時間程早く着き、歴史郷土資料館を見ることもできました。万事休す!
明治18年の高崎線桶川駅開設以来唯一の武村旅館。

高崎線脇の小道。たくさんの機種の列車に出会えます。

大宮公園のソメイヨシノ森。

氷川神社の長〜い参道のんびり散歩も癒しです

さいたま新都心のホウキを逆さまにしたようなケヤキ並木
2005年4月20日(水)
中山道 その24 深谷宿〜熊谷宿〜鴻巣宿
昨日は、やや早めに着いたので、JR深谷駅と深谷城跡に散策に行きました(その数も入れると53000歩)。瓦(レンガ)の産地としても有名だそうで、東京駅のレンガもここ深谷産だそうです。そしてこの深谷駅も東京駅をモデルに作られているそうです。全国天気概況からでは、埼玉県もお昼頃から雨になるという予報でしたが、外に出て観天望気すると、これは昼までもたちそうもない雲。昨日より気温は5℃ほど低く肌寒い朝でした。歩き出して1時間過ぎた頃からポツリ、ポツリ。雨具装着!傘も併用しながらでしたが、歩行ペースはいつも通り。熊谷宿に入る手前でコーヒータイムにしましたが、お店には暖房がはいっていましたよ。寒いはずですね。熊谷宿はデパート・金融機関・商店が立ち並び武州路のなかの最も近代都市として栄えた街に見えました。街の中心部をからJRを渡り南に街並みをはずれていき荒川の堤防に上がります。熊谷の街は北に利根川、南に荒川と大河川に挟まれています。水害はどうだったのでしょう?堤防に上がったところに地形図上では久下(くげ)橋というのが架かっているはずが・・・。撤去されて500mほど川下に新しい久下橋が出来ていました。撤去された橋の後書きによると、幅2.7mしかなく中州付近に幅4.5mの待避所があり、交互ができるのはここだけ、なんでもこの橋を渡るには御互い「あ・うん」の呼吸が大切だそうで・・!雨の中でしたが、川幅1キロにも及ぶ大河川に菜の花咲き乱れる堤防を約3キロ下りましたが気持ちいい環境でした。旧中山道は吹上の町で高崎線を北側に渡り、吹上駅を過ぎてまた南に戻るのですがショートカットしてそのまま南側をトレース、駅前の飲食店(名前忘れてしまいました)で昼食を。とんかつ・天婦羅定食が運ばれてきて「ご飯お代わりしてくださいね」とご主人、木村さんは「じゃ遠慮なく」とかいってお代わりしてました。そしたら「おかず、足りないんじゃない?どうぞ!」と、小鉢が・・・。偶然ですが僕たちが行く食べもの屋さんほんといい店ばかりですよ!この吹上町10月から、鴻巣市に吸収合併されるそうです。旧中山道を約2キロほど忠実に辿るとここから鴻巣市の看板が、でもタイミングよく今まであった歩道が、鴻巣市内にはいってなくなりました。恐いですよ歩道のない車道を歩くのは・・。行政(道路の一部分だけのことですが)鴻巣市の方が、遅れてるんじゃないの?と思ったほどでした。さほどの土砂降りの雨ではなく、雨具・傘以外は濡れることなく鴻巣宿に着きました。高崎線は湘南新宿ラインていうのが走っていて東海道線の平塚に接続します。鴻巣ではこの列車に偶然出合えて木村さんも大喜びでした。日本橋まであと60キロを割りました。来週でゴールとなるとワクワクしてきました。
東京駅風、深谷駅

熊谷宿、近代都市の真ん中にもこんなバス停が!

川幅約1キロの荒川に架かった新久下橋。地元の人はやれやれですよね。

荒川堤防にある標識、ゴール近くなりました。東京湾の匂いがしてきそうですよ。
2005年4月19日(火)
中仙道 その23 高崎宿〜倉賀野宿〜新町宿〜深谷宿
上野から高崎線の朝1番5時13分発の高崎行の普通電車に、¥950払ってグリーン車に乗りました。2階建車両の2階が景色も見晴らせて快適です。このグリーン料金、金土・日の方が平日より安いんですよ。さすが通勤首都圏の設定ですね。7時前に高崎に到着しても、朝食を摂るところが駅構内にあるのもさすが首都圏大都市。昔も中山道筋でも随一の人口を誇っていた高崎宿ですが、本陣も脇本陣もない宿場町?です。諸大名は宿場町というより城下町として栄えた高崎宿での宿泊を敬遠したようです。やや肌寒い朝でしたが、街のはずれから烏川の右岸に渡り堤防サイクリングロードで新町宿へ、川幅500mを越える広大な朝の堤防ウォークは菜の花、レンゲ草が満開で気持ちよかったですよ。新町を越えるとまたまた幅500mを越える神流川(かんな)を渡り、群馬県から埼玉県本庄宿へ入ります。神流川も渡った北方で烏川に合流し本庄宿の北で利根川に合流して大河川となります。土地勘のない僕は河川をもとに位置概念をイメージしてしまってついつい・・・・。古墳時代の遺跡や古墳群が存在している古い歴史をもった本庄宿には明治時代の警察署建物に史資料館として保存されていました。宿をはずれ、ちょうど昼時に入ったドライブイン富士では、愛想のいい元気なおばちゃまから「おすすめのランチは天重とラーメンのセットで735円、食後にはドリンクが付いています。」と宣伝され迷う間もなく・・・。ラーメンはともかく、天重は美味しかったです。午後から25℃程になった気温に半袖シャツになり田舎道を今日の宿泊地深谷宿へ約10キロ。僕たちは平均して2時間歩いて休憩をとっていますが、もちろんその間に歩きながら水分補給は欠かしません。深谷宿に着く頃は、過去最高歩行数の50000歩を数え、行動中の僕の水分補給も500ccのペットボトルを途中のコンビニで補給しつつ4本で2リットルに達しました。深谷宿17時着の予定が1時間早く着き、歩行数も更新とあって木村さん満足気でしたよ。深谷宿の旅籠は江戸時代から続いているという老舗旅館「きん藤旅館」。主の石川栄治さんは深谷レクレーション協会の会長をされていている名士で、バレーボールに力を入れられているとか・・。そう言えば春の高校バレー、男子の全国制覇は「深谷商業高校」じゃなかったかな?このきん藤旅館、1泊2食付で¥5700、旅館は古く近代的ではないにしろ、食事も日常並。朝出発前の精算時ににおかみさんに「こんなに安くて大丈夫?旅館なくならない?」て余計なこと(失礼なこと)を聞いてしまいました。
新町宿行在所公園にある明治天皇が北陸巡幸の際の宿泊舎

明治16年に建てられた本庄警察署現在は歴史資料館

深谷宿中山道筋に多く見られる葱畑きん藤旅館では「名物鴨鍋」鴨が葱しょってきて鴨葱なんて掛け言葉で宣伝してました。
2005年4月10日(日)
中山道 その22 松井田宿(磯部)〜安中宿〜板鼻宿〜高崎宿
磯部温泉は碓井川の右岸の辺に位置していますが、旧中山道は左岸を進んでいます。安中宿の中心に入るまでは、このまま右岸を進み水口とうい集落を過ぎて橋を渡り左岸へ、安中宿も「市」ですから昔の面影はどうかな?今までの経験上、やはり田舎の方が保存率高いですからね。でもこの安中市、旧道沿いに足軽長屋、郡奉行役宅などが復元されていました。街の外れで碓井川は、九十九川(つくも)の合流を受け川幅が広がり、やがて板鼻宿に入りますが旧中山道より広大になった碓井川の堤防遊歩道のほうが気分が良さそうな気がして、宿場の中は通らず省略してしまいました。これトレース違反ですね!でもほんとに快適でした。僕たちは背中になりますが、お江戸から来ると右手に浅間山、左手に妙義山をそれぞれずっと眺めながら歩ける環境ですから、この堤防歩きたくなりますよ絶対!碓井川は高崎市街に入る手前で烏川と合流し広い河川敷を作り、野球場がいくつも。少年野球のゲームが微笑ましくつい見とれてしまったり、満開を迎えている桜並木が目に入ったりで「え〜い、もうこの際忠実な中山道のトレースはどうでもいいや桜花見ウォーキングにしちゃえ!」ってなもんで・・・。ここ数日の気温上昇で一気に年に1度しか咲かない桜の満開ピンポイントに偶然にも出合ったのですから大目にみてもらいましょう!高崎宿はもう大都会東京の匂いが届いてるって感じです。この先のトレースは歴史を感じながらってのはむづかしいかもね。高崎からは普通電車に乗り、上野、東京へ。東海道線も普通電車に乗り熱海、豊橋、金山まで何と8時間の鈍行旅でした。ただ、びっくりしたのは熱海から豊橋行の列車なんと3両編成。ローカル線でのあるまいし、大幹線路線の東海道本線の列車が3両とは・・・。ずっと込み合ってましたよ。さらにトイレも付いてませんし。トイレの近い僕にはメチャ苦痛でした。だって東京から熱海までは15両編成で行くんですよ!いくら首都圏を離れるからといっても・・・。開幕直前の愛・地球博の地下鉄〜リニモのトラブルと同じじゃ〜ん!
明治45年に建てられた旧碓井群役所

近年復元された足軽長屋

足軽長屋の通りを挟んだ反対側の郡奉行役宅

碓井川の堤防の遊歩道の桜並木
2005年4月8日(金)
中山道 その21 軽井沢宿〜坂本宿〜松井田宿

8日の夜行列車「ムーンライトながら」で東京へ、i今時乗車率100%の夜行列車が・・というくらいの人気。早朝4時45分に東京着、京浜東北線で上野、高崎線で高崎へ、そして長野新幹線に乗り換え軽井沢に7時30分に到着。価格的に最も安く、早く軽井沢に着く方法を木村さんが検索してくれました。軽井沢プリンススキー場のゲレンデの雪もまばらになり、軽井沢にも春が訪れようとして気温は11℃。今年になって最も暖かい中山道旅のスタートとなりました。ハイシーズンなら人ごみを掻き分けるようにして歩く旧軽井沢のメインストリートも早朝のせいなのか、まだシーズンオフなのか、人通りは全く無しでした。舗装道路が終わると、「これが、本当の避暑地だよ」という雑木林の森に入ります。所々に残雪の残る自然歩道でしたが、樹木たちの、長〜い冬から、やっと暖かな日差しを浴びて、今にも芽を吹き出すぞ!と言わんばかりのエネルギーを感じながら碓氷峠への登高でした。峠から坂本宿までは標高差にして約700m、距離にして8キロの長〜い下り、江戸から来たひとは大変だったと思いますよ!自然歩道には「安政遠足」(あんせいとおあし)の看板がいたるところに立てられていて、御武家さんの訓練に使われていたとか?、いまでも安中マラソンとして安中市の中心部から碓氷峠までの二十数キロのマラソン大会は有名だそうです。坂本宿を過ぎると道はもう平坦になり、下りの勢いそのままで歩けば「あっ!」とい間に横川の集落に。信越線の列車が厳しい上りの碓井峠を越える手段としてアプト式(前後に機関車をつける)、機関車をつけるのに時間がかかり、その待ち時間に乗客が弁当を買うことではじまったのが、「峠の釜飯」。あの有名な横川です。現在は長野新幹線ができ利用者が少なくなった?のか、信越線はこの横川までで、軽井沢への峠を越えは、バスになった。昼時で入ったご夫婦でされていた「麻芋茶屋」(あさうちゃや)ではお昼ご飯後に「これサービス!、気おつけて歩きんさいよ」とコーヒーをご馳走になった。ほんと田舎の皆さんの心は・・底まで覗いて見てみたいね(か弱そうに見える僕に同情してくれてるのかも?)。小さな集落をいくつか過ぎると、赤城・榛名とともに上毛三山といわれている妙義山の麓松井田宿に。北の白雲山、中の金洞山、南の金鶏山の三峰から成る、絶壁怪石で形成された奇勝です。松井田宿には宿(やど)がないので6キロほど先の磯部まで足を延ばし磯部温泉の見晴荘に泊まりました。前回の和田宿、望月宿の宿があまりにも価格に対してご馳走だったので、普通的な此処には、予約してくれた木村さんは「う〜ん」と納得いかないようでした。


碓井峠から北東に浅間山の展望

碓井峠から南西には妙義山

横川の鉄道文化村、マニアは退屈しません

五科集落の田園風景。こんな風景がみられるのはこの先最後かも?

磯部温泉の宿前の、桜・満開風流でしょ!
2005年4月4日(月)
大府あいち健康の森へエクササイズ

自分達のお店のある刈谷市には「う〜ん」と納得できるエクササイズ環境が少ないので、隣町の大府市に足を運んでいます。お店はJR東海道線刈谷駅が目と鼻の先なので、電車に乗って大府駅に快速で3分程、駅西口を降りると「健康の森・ウォークロード」の標識に従って1.5キロ、約20分で到着!初めて来るうちのスタッフ桜井は「どえらい!広いですね!」{「どえらい」は三河弁で「ものすごい」の意味}。ほんとに広くて、こんな田舎街(失礼)に「え〜!」というくらい誇りが持てるほどの施設です。今日は公園内の1周約4.5キロと一番距離の長いリフレッシュコースをウォーク。MBTスポーツを履いてのエクササイズウォーキングの距離としては長い距離といえます。桜井は初めて履くMBTシューズに戸惑い気味!まあ身体能力の高さがリカバリーしてるとはいうものの、重心移動動作時に日常歩行の習慣性からか、踵着地重心移動という意識運動をしていないせいで、盛り上がった真ん中から着地することが多く、「ザザ」っとつっかかり気味の着地が目立ちました。半年間使用を続けている僕はだんだん意識運動が習慣づいてきてスムースな重心移動!「へへへ」とやや優越感てところです。スキー以外何をやっても敵わいませんから・・・・。ジョッキングにきていたお客さんに合流、強引?にウォークに誘い帰りは店までヒッチハイク(車で来ていたので)!途中のロウソンで買ったグリコのアイスクリームラムレーズンサンドで相殺!でもポイントカードに3ポイント付きますよ!(¥6000分の商品買ったのと同じ)。次回はヒッチハイクせず大府駅まできちんと歩きます!いつもより若干内股歩行を意識したせいかやや内転筋に張りが・・・。みなさん、お店に寄りついでに一緒にエクササイズしに行きましょう。14時39分に刈谷を乗って、一番長いウォーキングコースを歩いて16時15分に帰店でした。ヒッチハイクしなければお店を出て帰るまで2時間てところです。このコースの他にわくわくコース(お店を出て帰るまで1時間30分)、いきいきコース(お店を出て帰るまで1時間20分)とバラエティです。


生きもの達の谷こんな自然が園内にいっぱい

天気いいとここから御岳の遠望が

公園内に咲き乱れるタンポポ桜の花も2分咲きでした
公園内に咲き乱れるホトケノザ
2005年3月22日(水)
中山道 その20 塩名田宿〜岩村田宿〜小田井宿〜追分宿〜沓掛宿〜軽井沢宿
昨日の宿、山城屋さんも2食付¥8000のコストパフォーマンスは高かったですよ。普段の食生活の2〜3倍の食材ですから、運動量を上回ってしまう気がして・・。雨音で目覚める程の天気。出発から上下のレインウェアーで身を包み、小諸行のバスに乗って塩田名宿へ。目覚め時の雨も歩き始める頃には何とか上がっててくれました。岩村田宿までは佐久地方第一の穀倉地帯の広がりの中に桃畑の点在するのどかな田園を進みます。途中、自転車通学している野球少年にびっくりするくらいの大きな声で「おはようございます」と声を掛けられ「おはよう」と負けない声で返す。バットケースをみると佐久長聖と刺繍が、長野県を代表する甲子園の常連高の子供達は元気・気合も違いますね。岩村田宿はこの3日間の雰囲気とはうって変わって都会の街でした。小田井宿は昔の面影たっぷりで長久保宿同様L字状の宿場町で当時は女性のお客さんで賑わっていたようで、姫の宿とも呼ばれていたそうです(今もそうなら僕も是非泊まってみたくなりますが・・・)。追分宿・沓掛宿は軽井沢カラーが浸透してきて、今は何の変哲もない田舎街って感じでした。沓掛宿なんかもう名前もほとんど中軽井沢ですからね。でもちょうど昼時に追分宿で入った蕎麦処「ささくら」の蕎麦はおいしかったですよ。食べる価値大◎!もう、軽井沢宿は一般的イメージの軽井沢です。中山道67宿でもっともつまらないかなあ?僕達みたいなウォーカーにとっては・・・。雨の中を消化しただけでした。いつ雨になっても不思議ではない雨雲の中、上下ゴアテックスのレインで身を包んだのが魔除けになったのか?偶然なのか?追分で蕎麦を食べ終わるまでもってくれました。追分宿から軽井沢宿間はしっかり降られましたが、傘が役立ちましたよ。通勤にも使っているモンベル社のトレッキングアンブレラ。軽いのですが、風が強くなければ◎!
とうとう千曲の流れまで辿り着きました。

さすが穀物地帯。藁のロール(束)が田園に一面見たことのない風景にウットリ

小田井宿の旧上問屋・安川家住宅上問屋は用心堅固であったこともあり幕末は多くの大名などの宿泊があったそうです。

2005年3月22日(火)
中山道 その19 和田宿〜長久保宿〜芦田宿〜望月宿(プラス八幡宿〜塩名田宿)

昨日の快晴とはうって変わって、いつ降りだしてもおかしくない重〜い雲に覆われました。本亭旅館のご夫婦に「お気をつけて」と見送られ和田宿を後にしました。国道142号線にバイパスが通ったため旧道はほとんど交通量がなく快適に歩けました。下・中・上の3つの地域をもつ大きな和田村の最後の地域下和田を過ぎると下諏訪宿と同じようなL字型の宿場を形成した長久保宿に入ります。標高830mの和田宿に対し長久保宿は680m、150mも下ったわけですから楽に歩けたはずですよね。木村さん「予定していた所要時間より約1時間早いですよ!」と喜んでみえました。学者村と名づけられた別荘地を横目に標高900mの笠取峠を越え、長野県天然記念物の指定を受けている松並木を越え芦田宿。昔の佇まいの蕎麦やさんが目に入ったのでいざ昼飯と思いきや、本日貸切!「茂田井宿まですぐですから・・・」の気合より先にドライブイン笠取峠の看板が、即ランチ。「家のソースカツ丼、おいしいですよ!ソースもオリジナルですから」と奨められ全員一致。ちょっと甘めのトマト風ソースでしたけど◎でした。茂田井宿では元禄2年(1689年)からの造り酒屋をされている大沢酒造でちびちびと味見を、純米大吟醸は逸品でした。宅急便で即!隣接しているしなの山林美術館は土蔵を利用して信濃の山々や自然を描いた油絵が中心に展示されていて旅途中の休息には心安らぎますよ。大沢酒造から100mほど離れたところにも武重本家酒造があってここも古く慶応元年(1856年)からの老舗でここの「牧水大吟醸生酒」も逸品です。ゆっくり過ごした茂田井宿でしたが今日の宿泊望月宿には世間話をしている間に到着。ただの運、偶然か望月宿に着いたころから雨がポロポロ!みなさん自信ありげな「私の心がけよ!」て笑顔でした。
追加行動: 2時40分に望月宿に着き、僕は温泉施設にでも行って旅気分に浸ろうと思っていましたが、木村さんが、「時間早いことだし空身で塩名田宿あたりまで行きませんか?帰りはバスに乗って帰ればいいとおもいますが・・・。そうすると明日、軽井沢まで足が延びる可能性が高くなるので」。と提案され即決。気転の利く御年寄りですよ(失礼)帰りのバス時刻も調べた上でのことでした。最近のプランは全部木村さんのプランで、僕は連れられ族。交通機関から宿泊先まですべて!頭が下がりますよ。八幡宿を越え塩名田宿までの約8キロを雨が降ったり、止んだりの中をややイケイケ歩きで1時間40分。帰りは千曲バスで望月宿までたった15分¥390の旅?でした。


本亭旅館を出てすぐの和田宿本陣。居室棟部分が解体修理され当時の姿に復元されている。

長久保宿の本陣跡は中山道67宿のなかでも当時そのまま残されている最も古いもの
だそうだ。


笠取峠を越えて現れる松並木この古い赤松は150〜300年以上経っているそうだ。

白壁の表門にかつての本陣家としての威厳を感じる芦田宿本陣土屋家
2005年3月21日(月)
中山道 その18 諏訪宿〜和田宿

前回と同じように、諏訪まで車で行きました。今回は諏訪駅の駐車場ではなく諏訪大社の駐車場に無断駐車を3日間させてもらいました。罰が当たるかな?すみません。諏訪宿の朝は早く、温泉街の旅館の1日は玄関先掃除から始まるのでしょうか?どこの旅館の女将さんも、自ら掃除をされていて、「おはようございます」と声をかけられ、声をかけを繰り返して進みました。頻繁にブランシュたかやまスキー場に足を運んでいる僕たちからみると和田峠?すぐそこだよ!てなもんでしたが、人間の足、自らとなると中々1600m付近の峠までの約850mの標高差を縮めようとしても大変でした。途中の木落とし坂にある御柱の大木に「えっ、これを此処から落としてたの?」と驚かされました。樋橋を通過して西の餅屋跡まではほぼ国道142号線を歩きますが、車(特にトラック)には要注意です。西の餅屋跡からはようやく国道から離れ、自然歩道に入りますが、まだこの時期予測通り白銀の世界でした。中山道自然歩道というより、積雪期登山道でした。しんどい、しんどいと連発してやっとたどり着いた和田古峠、快晴の空から姿を見せてくれた御岳、中央アルプス連峰、乗鞍岳の勇姿も「よく頑張った」と答えてくれたようです。今は営業していないスキー場跡の斜面は当然のことながらシュプールひとつない白銀バーンで「あ〜、もったいない」と脚が騒いでいるようでした。いつもの木村さん、野々山さん、二ノ宮さんに「もう登りはないからね」と励ますのですが、皆さん年甲斐も無く、下り早いんですよ。遊歩道に入って間もなく「この先土砂崩れのため通行禁止」の札にがっくりして旧国道を・・・。この国道カーブがメチャクチャに多く効率悪いんですよ。何と小さなカーブを含めて観音橋の合流点まで65カーブありましたからね。ドライブイン和田峠を過ぎ上和田地区大出の集落に入ってすぐお墓が目に、何と真っ黒な石を使った立派なお墓にびっくり!聞いてみれば、黒曜石の産地でした。大出の集落を過ぎると和田宿はまもなく、わずか約22キロの距離も歩幅を小さく歩いた距離が長かったせいでしょう45000歩を数えました。
和田宿: 唯一の旅籠本亭旅館ですが、よかったですよ。「江戸時代からのそのままなものですから、ちょっとご不便をおかけしますが」と、愛想のいい女将さんが出迎えてくれて、石油ストーブの暖房がすごく暖かく感じて・・・。料理も含めた¥7500の宿泊費のコストパフォーマンスは高いと思いますよ。本亭旅館のすぐ隣には白壁の土蔵のある「万屋」(よろずや)さんがあり、日曜雑貨はなんでも手に入ります。がミネラルウォーターのボトルを買いに行って、なかったので尋ねてみると、「この街の下においし〜い水が流れていて、どこの蛇口からでも汲めるのに何でお金を出してわざわざ水を買うの?呑んでみてください、軟水ですけどおいしいですよ」。なるほど納得!でもほんとに美味かった!




和田古峠への道

和田古峠標高1600mでは積雪1mてとこです

見にくいかもしれませんが和田古峠から乗鞍岳の展望。

この日の旅籠、和田宿唯一の本亭旅館。昔の雰囲気たっぷりで堪能できますよ。
2005年3月12日(土)
中山道 その17 塩尻宿〜下諏訪宿
今回も逆走、下諏訪宿から塩尻宿へ向かいました。だんだん遠くになってきて日帰りの踏破にはアクセス時間の効率が不可欠で・・・。朝6時に車でスタート(伊勢湾岸道・豊明ICから東名・豊田JC、中央道小牧JCから岡谷IC)して下諏訪駅に8時30分到着、駅の駐車場に預かってもらい(1日¥1000でした)ウォーク開始。昨日まで4月中旬並の暖かさだったのが一転して冬型に、最低気温はさほどでもなかったのですが、最高気温も上がらず、いつもながらの寒い1日でした。下諏訪宿も旧中山道の面影はなく、ひたすら街並みを歩きですが、今井集落に入ると番所跡も残り中山道の雰囲気たっぷりになります。この辺りから徐々に家並みから離れ旧塩尻峠への緩やかな上り坂となりますが、大岩(たいした大きさではないのですが目立つ)を過ぎた辺りからかなりの勾配に2週間ぶりにウォーキングした野々山さん、二宮さん(お二人は姉妹)は「しんど〜い」を連発していました。旧塩尻峠ではほんの一時の雲の切れ間をついて富士山を見ることが出来て、疲れが吹っ飛んだようでした。峠からの雪道の下り始めは氷化が激しく、シューズチェーンを持ってこなかったことが悔やまれました(今回は要らないと言った僕が悪いのです)。緩やかにドンドン下り、落ち着いた所が柿沢集落。何と、家も、庭も、門構えも立派で風格がある家が多いこと!きっと庭師さんは儲かりますよ!国道20号線を渡りやがて飯田から来る国道153号線に合流しますが、この道、歩道が無くなんと危ないこと。もちろん枝道を歩きましたが、そこが旧中山道でした。最近はGPSは使わず、国土地理院の1/25000図だけを使っています。GPSに入っているソフトでは確認できない細かいところがめちゃ当てになって心強いんですよ。塩尻宿では駅前の地元っちおみやげやさんで、ワインを1本(なんたってブドウの産地ですから)。今回は桔梗ヶ原産のザ・アルプスのロゼを買いました3130本の限定の中の297本目です。何がおいしいワインかも識別できないオンチな限定品かぶれなんです。実際にお酒はほとんど飲めないので、旅先の記念に買ったワインや日本酒が増えるだけ。そのうちに自宅のセミ地下室にセラーが出来ますよ(偉そうに)。
下諏訪宿で出会った移動八百屋さん、新鮮で美味そうな野菜で一杯でした。

塩尻峠から諏訪湖と背景に富士山(見えるかな?)

塩尻宿より雪で覆われた鉢伏山。高ボッチから春・夏の高原ウォーキングに快適です。

信濃ではいたるところに見受けられる道祖神
2005年3月3日(木)
大日ヶ岳スノーシューウォーク
中山道ウォーク日記とは環境が違い過ぎますが、これもウォーキングのひとつなので、山行日記とは別のこのページに入れることにしました。奥美濃のスキー場は人気があるとは聞いていましたが(冬は約10年ぶりに行きました)、いつも木曽や信州に足を延ばしている僕たちから見ると、「みんな、もっと木曽や信州にも足を運んでよ」と叫びたかった。平日にもかかわらず、駐車場は端の方、土・日は想像を絶しますよ。でもお店から東海北陸道を使えば2時間30分(途中休憩しても)という近距離はやはり魅力ですかね。今回は高鷲スノーパーク、ゴンドラ終点駅から大日ヶ岳へ。このコースの良さは、ゴンドラ終点駅から頂上までの距離は近いことから日帰りで豪雪地帯の奥美濃の山々が一望でき、日常生活とは全く違った世界を体験できることです。しかし、悪天は要注意です。広い尾根、斜面がホワイトアウトで全くわからなくなります。今回も天気予報はあまり良くなかったので赤旗を用意しましたが、雲(運)が味方して薄青空。ビギナーはやはり、安心できるガイド・指導者のもとで歩くことをおすすめします。ゴンドラ終点駅から途中1回休息を入れて1時間40分のウォークで頂上へ、下降は大日ヶ岳稜線沿い南西方向に位地する1700mの頭から北西に延びる大きな尾根を使い、1200m付近から1000m付近まで西側の谷を下り、さらにその西側の小さな尾根を越えて高鷲スノーパークの下部ゲレンデに合流、林道(もちろん真っ白ですよ)を駐車場まで歩いて終了。この尾根を使うと下りなんと7キロにも及びます。あっという間の登頂に「何だあ!」とやや不満気でも1日終わってみれば充分満足!歩行時間6時間でした。参考までに使用スノーシューはMSR・デナリアッセント、ライトニングアッセント、ダボス・アッセントツーの3型の小サイズです。
追伸: 
今日もGPS(ガーミン・ビスタ)を使用しました。1/25000図のソフトはスキー場の敷地面積が正確?に入っていたので、谷をどこまで下ってスキー場に軌道修正したらいいかの判断には効果的でした。目標点が目で確認できないくらい不安なことはありませんものね。特に初めて入った環境だとなおさらです。

ゴンドラ終点上部の樹林尾根

稜線に出て大日が岳を眺める

1700mの頭直下でショベルを使って快適な休息スペースを切り出す。グリル大日のランチタイムてとこです。

1700mの頭から下降した尾根幅の広い快適な尾根でした。尾根の末端近くまで下降してもいいかも

2005年2月28日(月)
中山道 その16 奈良井宿〜贄川宿〜本山宿〜洗馬宿〜塩尻宿
スタート地までのアクセス時間がかかるようになり、効率を上げるために今回は塩尻から逆走しました。7時5分発の特急しなの1号で名古屋を出発して塩尻に9時に到着。塩尻は中央線の西線、東線の合流点で線路が複雑に交わっているため、「あれ?さっきも線路渡りましたよね」と地形概念を錯覚してしまいます。塩尻宿を出てまもなく一面ぶどう畑が始まりますが、そこから見える真っ白なの常念岳・穂高連峰は圧巻で、ずーっと眺めていながら歩行は自動操縦なんていうことが出来たら最高!ですね。洗馬宿はかつての面影はまったくありません。鉄道(中央線)に削れ取られてしまったのでしょうか?本山宿は小さな宿場ですが、各戸とも昔の旅籠の表札をだしていました。日出塩駅で休憩をとって、「是より南、木曽路」の碑に出会い、国道歩き嫌いな僕はいつものように脇道を・・・。雪のかけらもない国道とは違い、踝上までのラッセル、これ何の道?古道だそうです。調子にのってさらに踏み跡の無い道を・・・これ何?昔の鉄道(単線の頃の中央線)の線路跡!贄川の手前の奈良井川を渡る橋のところで国道の合流。贄川はその昔温泉が出たことからその名が付いたそうです。この贄川宿もかつてを偲ばせるものは残っていませんでした。平沢集落は楢川村の行政の中心地のようで、賑わっていました。木曽漆器の街なんですが、ほとんどのお店ののれんが上がっていませんでした。シーズンオフなんでしょうか?6時間せっかちなB型おじさんが歩いた歩数は久しぶりに35000歩を数えました。
塩尻のブドウ畑から白い北アルプスの峰々を望む

昔の単線中央線のトンネル跡

奈良井川を渡り奈良井宿へ、難所鳥居峠の峠山を望む
2005年2月21日(月)
中山道 その15 宮ノ越宿〜藪原宿〜奈良井宿
僕たちが木曽路をトレースする日に限って寒波なんです。今日も宮ノ越宿9時15分でマイナス6℃、行程を通じて最高気温もマイナス2℃でした。木曽も源流に近づき、藪原宿辺りが最も穏やかな水量、流れでしょう。藪原宿はかつてお六櫛の生産で栄えたそうです。この櫛はもともと妻籠宿のお六という娘さんが考案したそうですが、材料がミネバリという粘りのある堅い木を使うらしいのですが、妻籠宿には材料が不足していたため、材料豊富の薮原から購入していて、ミネバリを届けながら妻籠宿に潜入してその技術を盗み出してきて、薮原で技術を磨き、改良を重ね商売になったそうです。ここから難所鳥居峠を積雪期に越えるわけですが、2日前の雨で、それが冷え、凍っているだろうと予測して、シューズチェーンを用意していったのですが、付けるには至りませんでした(このチェーン中々優れものです。特に雪が踏み固められて氷化した道の滑り止めに最高です。4本爪アイゼンとは比較にならないくらい安定しています)。一緒に歩いているみなさんの歩行バランス・重心移動がよくなったのも付けずにすんだ要因のひとつです。埋まることはないと予測してロング・スパッツを携帯しなかったのが唯一の失敗!冬の中山道は必携装備であることをお忘れなく。奈良井宿は春、秋に訪れた時の賑わいはまったくなく、観光客が訪れない冬期は、お店がほとんど閉まっていてまるで過疎宿のようでした。僕は静かでほんとに江戸時代にタイムスリップしたみたいで感動でしたが・・・。1軒だけ営業していた「こでまり」という喫茶店でコーヒーと「さるなし」という甘すっぱい実を包んだオリジナルのパイを食べて今日の打ち上げ。コーヒーもじっくり時間かけて入れてくれて美味しかったですよ。いい雰囲気のお店で◎!僕たちが入ったら気をきかしてBGM流してくれました(それまで、お客さんがなかったから流してなかったんでしょう)。それがJAZZというかFUSION、ジョン・スコフィールドさんのギターバンドのCD、アコースティック・クラシカルで安らぎましたよ。
薮原宿手前の木曽川の穏やかな源流付近。

薮原のお六櫛問屋。古色蒼然ですが営業しています。

鳥居峠直下の吹き溜まり50cm積雪で未トレースでした

奈良井宿の二百地蔵。風雪に耐えた石仏が並ぶ
2005年2月7日(月)
中山道 その14 上松宿〜木曽福島宿〜宮ノ越宿
快晴、青一色(役満ですよ)のスタートでした。気温は8時30分でマイナス5度で前回よりやや高めでした。しかし、手袋をはめてないと陽の当たらないとこで素手ででは指先がジンジン。僕はいつもTAUBERTのフリース系ウィンドストッパーグローブを愛用しています。上松宿を出てからはいつものように木曽川の右岸をトレース、1/25000図には表示されていない新しい?道が効率よく木曽川沿いに一直線、なんと福島宿まで予定所要時間の半分で来てしまったので、TOMATOという喫茶店で木曽路に入って久しぶりのコーヒータイムが過ごせました(南木曽宿からここまで喫茶店というものがありませんでしたから)。ふと気がついたことは、街中のいたるところに、丸い氷の枠が散らばっていて、よく見ると中にろうそくの跡が・・・。ちょうど行き会った地元のおばちゃまに訪ねてみると、「一昨日の夜、アイスキャンドルイベントていうのを、街の青年会の人たちが中心で今年から始めたんですよ。とても綺麗でしたよ。春、夏、秋まではお祭りやらイベントがあって観光にたくさんの人が来てくれますが、冬は何もないですからねえ」と。そういえば、ネパールで「ドンシュ−レ」と言うのだったかな?綺麗だった光のお祭りを思い出し、来年はみんなで見に来ておばちゃまを励まさなきゃ(きっとすごく綺麗で、ロマンチックだと思いますよ)。関所跡、高瀬家藤村資料館を見学した後、原野、宮ノ越へ、木村さんが「今日、宮ノ越の手前で、やっと中間点なんですよ、楽しみで」。と言われてましたが、何ともさりげない中間点の案内板の前で、とりあえず握手!「後半分、頑張るぞ!」。福島宿が木曽川を挟んで山が左右から押し迫った狭い谷の宿に対して、原野、宮ノ越宿へ来ると、木曽の谷も開けてくることが一目でわかります。こんな自然環境を目にすると福島宿に関所設けたことが分かる気がします。回避が不可能ですからね。木曽(源)義仲が平家打倒の兵を挙げた地としても知られる宮ノ越宿、乗車列車の時間があったので、義仲資料館に行ってみれば、またも休館。う〜ん、これではねえ〜冬は寂しくなりますよ。
藤村の姉・そのが嫁いだ高瀬家資料館のおばあちゃん(失礼)笑顔がとても素敵でした。小説「家」の舞台です。

福島関所の上番所。旅人はここに持参した手形を差し出し、隣の下番所で改められました。

アイスキャンドルイベントのろうそくをつける、氷で作った土台ピンクの色まで付けて、ほんと綺麗だと思います
2005年1月30日(日)
中山道 その13 大桑〜須原宿〜上松宿
JR中央線の土・日限定運行列車に快速「チャオスキー号」薮原行きというのが走っていて、それを利用したのですが、予定では中津川で、松本行の普通列車に乗り換えて、大桑駅で降り、前回の続きでしたが、この列車、中津川を出ると上松まで止まらない特急並み、トレース方向さえこだわらねければ、合理的なのは上松宿から戻ったほうが・・木村さんに相談したら、「頭が柔軟ですねえ」とお褒め?の返答をいただき逆走!この冬一番の寒気が流れ込むという気象庁の予報通り、天気はいいものの外気は冷た〜く、午前8時の上松で−7℃でした。倉本集落から須原宿までの中山道はづっと国道19号線沿いを行くので、いつもの如く、古いつり橋を渡り、、木曽川右岸の東海北陸自然歩道を行きましたがアップダウもあり、距離も1.5倍ほど長くなったようでした。この道路国土地理院の1/25000図には記載されておらず、半分は感で歩いたようなもんでしたが、なんと約7キロで2台の車に出合っただけというのが、ウォーキング環境らしくてGOOD!道中の大桑村歴史資料館の案内板に引かれて行ってみれば、なんと立派で、お洒落な建物。しかし、「12月から2月いっぱいまでは休館」の張り紙にガッカリ。須原宿では木曽路の最も古くからの造り酒屋、西尾酒造に立ち寄ったら、めっちゃ元気のいい女将さんと、若女将さんから、純米大吟醸「木曽のかけはし」をほんのちょっとご馳走になり、「うま〜い」と感激!という僕は全然お酒はダメ。最近はうちの、イトさん(お洒落な飲兵衛)から「おいしい日本酒あれこれ」を教わっているので、舌だけは肥えちゃって。この女将さんちょっと自慢話が過ぎましたけど・・・。宿場には、木で作った水船(さすが木曽檜)がいたるところにあり、流れ落ちる天然水も「うま〜い」。純米大吟醸のミネラル割っていう落ちで・・・。
歩いて渡る橋はやはり車が通れないほうが気分いいですよ

西尾酒造の女将さん。東海大人のウォーカー3月号の「大人の歳時紀」に載っていますよ。

大吟醸を頂いた後の水船からの木曽の天然水を飲む木村さん
2005年1月16日(日)
中山道 その12 妻籠宿〜三留野宿〜野尻宿
先週、妻籠宿に着いてから南木曽駅まで歩き、列車に乗ったので、今日は南木曽駅(ほぼ三留野宿ですが)からのスタートです。国道歩きが嫌な僕の一存で木曽川の右岸の道を行くことに・・・(中山道は国道19号線沿いで木曽川の左岸です)。一番の目的は、大正11年に架けられた桃介橋(今は架け替えられて新しくなっています)をこの機会に渡ってみたかったんです。そのせいで三留野宿の街並みをトレースできませんでした(これじゃ、中山道全踏破になりませんよね、インチキ!?)。天候は今日も雪、それも湿雪、お昼頃からミゾレのち雨?、不快適の代表でした。楽しかったのはこのルートの柿其地区の戸場という集落で、小正月?と言うのでしょうか、門松や、しめ縄を燃やす行事を部落の人々が集まって始まったところに出合ました。村の人のみなさんから「寄って、一杯飲んでけ」と誘われて・・・。大谷さんは「やっと途中で地元の美味い酒を飲めた」と大喜び!ゼンマイの佃煮、煮イカ、つきたての豆入り餅なんかもご馳走になって、たのしいひと時が過ごせました。自分たちの生活習慣に誇りがあるんでしょうね。外から来た人間に「どうだ!」と言わんばかりに・・・。悪天のウォークも今日はこのひと時に尽きます。戸場集落のみなさん、「ありがと〜」。
降雪なんか吹き飛ばすほどのファイヤーでした。


大谷さん曰く、メチャうまいお酒だったそうです。名前忘れましたが、薮原の酒蔵のものでした。エチケット見ればわかるので、この先の藪原宿では是非ゲット!
2005年1月13日(木)
めずらしいもの見つけました
ウォーキングの電車旅途中のJR東海道本線米原駅で上り線(名古屋、豊橋方面)の乗り継ぎ待ち合わせ時間中に、今時めずらしいものを見つけました。ホームの後方寄りに設置してある洗面所(トイレじゃありませんよ、単純に顔や手を洗う場所です)です。よく見ると、かなり昔からのものがそのまま残されて使われて?いるようです。米原は東海道本線と北陸本線の合流分岐点、夜行列車で早朝到着した人がホームで洗顔して乗り継ぐために用意されたのか、それとももっと以前のSL蒸気機関車の煤を洗うために用意されたものなのかわかりませんが、今時貴重な設備です。せっかくの設備なので、洗顔はしませんでしたが、手洗いをしてきました。「お〜冷た〜」
鏡に写っているのは霊じゃありませんよ。ウォーキングパートナーの木村さんです
新たな発見 その3
発見というより基本と言うべきでしょうか、「ウォーキングに行くぐらいだから」ってどうしても軽く考えてしまいますよね。でも、持ち物の基本は守りましょう。下着やその上から着るもののイメージはあっても降雪から濡れを防ぐ、というまでの意識は中々・・・。登山じゃないだけにね!特に手袋!。僕はこの日薄手のフリース系ウィンドストッパーの手袋をはめ、スペアにウールの薄手を持っていきましたが、濡れを防ぐレインオーバーグローブを持っていかなかったため、めちゃ冷た〜い思いをしました。凍傷にまで発展する可能性は環境的に低いのですが、快適じゃないとね!継続性を失いますから。木村さんちゃんとレイングローブ持ってましたよ。脱帽!
2005年1月13日(木)
中山道その11 武佐宿〜鏡宿立場〜守山宿〜草津宿
昨年の年末12月23日に予定していた行程ですが、私の都合で行けなくなったのですが、パートナーの木村さんが新春からトレースする木曽路の打ち合わせに見えたときに、「今週は行事予定がないから、サボって年末のリベンジしてもいいですよ」と言ったら、即、手帳を開いて「じゃ、12日水曜日にお願いします」とわずかに1分で決まりました。木村さんも僕と同じ<せっかち>なB型人間なんですよ。日本付近は強い冬型の気圧配置の如く、早朝5時30分に自宅を出ると、僕の身体も今季一番の寒さを感じました。近江鉄道、武佐駅に着いたときは、降雪こそないものの暗い雪雲が覆い、歩き始めて1時間もするとパラパラ、2時間後には吹雪。1日中ゴアテックスのレインウェアーを脱ぐことが出来ない日でした。吹雪の中を黙々と歩くだけのイケイケウォーキングになってしまい、「残念!」でしたが、野洲川を渡る橋の上からちょっとした雲の切れ間とほんの日差しの中から見えた、近江富士こと三上山のうっすらと雪化粧した緑とのコントラストが綺麗でした。今日の僕の唯一の楽しみは守山宿の2万点に及ぶ内外の人形が展示されているという郷土人形館を見ることでしたが、寄ってみると、『予約制につき御用の方はこちらに電話ください、・・・・・』の張り紙に扉もロックされていてがっかり。夢破れた僕は、がっかりレベルから、「そんな施設なら宣伝やインフォメーションするな!」と腹立ちモードへ・・・。でもそんな僕の気持ちを癒してくれたのは、同じ守山宿でお昼に入ったとんかつ屋さん「かつくら」という店でした。味もさりとて、スタッフの女性の気配りが、冷えた身体も、心も一転!吹雪のウォーキングもいいことありますよ!
平家滅亡の地は壇ノ浦ではなく野洲町だそうです。
2005年1月8日(土)
中山道その10 中津川宿〜落合宿〜馬籠宿〜妻籠宿
12月中旬までのSALE・インフォーメーションのD.Mに中山道ウォーキングのことを載せたら、来店のお客様からずいぶん問い合わせもあり、ホームページの「旅日記」も紹介したら、「年明けたら是非参加したいです」という声も聞きましたが、新春1日目は昨年から継続している毎度のウォーカー5名(みなさん登山もしてます)でした。中津川駅を降りるとすぐ大谷さんご主人から「モーニングは?」と請求があり、駅構内のコーヒーショップに・・・。でも、ここモーニングセットがなかったんですよ(僕は小倉トーストを食べて元気づけ)。こういうときに限って歩き始めるとすぐにモーニングセットメニュ見本がでてる喫茶店に出くわすんだよね〜。落合宿に入る前から小さいながらもアップ・ダウンを繰り返し、十曲峠へは石畳の急な坂道が続きます。馬籠宿に入ると古い宿場町の雰囲気を出しているものの、「五平餅、ぜんざい、そば」と同じメニューの垂れ幕看板を出したお店が連立。「あ〜あ」と思いながらも峠越えのエネルギー消費した体がお店へと誘導してくれるんですよ。五平餅で補給!タレがおいし〜い。馬籠といえば島崎藤村の生地。山村で生活する人々は、山林にたより、数え切れない自然の恵で生きて、その暮らしから得た知恵が、生活体系として完成させてきたんでしょうねえ。そこから人間と自然とのルールもおのずからできていたことでしょう。当時の明治維新政府は、そんな彼らの生活から山を取り上げようとし、藤村の父、島崎正樹をモデルとしている青山半蔵は村長として、新政府と木曽山林解放の嘆願のために50キロ北にある福島宿の支庁へと出かけ、険しい山道中、無念の想いを「一新がこんなことでいのか」と繰り返し、この言葉が焦点となり、藤村は近代日本の闇を『夜明け前』で鋭く描き出しました。『夜明け前』の冒頭部「木曽路はすべて山の中である」と書かれているのは、馬籠峠を越え妻籠宿に象徴される険しい山間風景だったのでしょう。今回は歩行コースが全て雪に覆われていて苦労?しました。そうはいうものの僕たちは、科学の進歩した、靴底は滑りにくいビブラムソール、アッパーは濡れにくいゴアテックス加工と快適、便利シューズを履いていますが、当時の人はどんな格好で雪のこの峠を越えたのでしょうね?最低気温−4℃、最高気温3℃という冷たく、澄みきった空気のウォーキングでした。この時期は人も少なく、いいですよ。みなさん重い腰を上げて歩きましょう。
中津川市の何処からも目に入るなだらかな山、梵天山(696m)

十曲峠の石畳。当時のそのものが残された文化財です。

馬籠宿から妻籠宿の雪に閉ざされた旧中山道積雪の後冷えて滑りやすい状態。緊張して筋肉痛になったとか。

古い宿場町の雰囲気が残されている妻籠宿
2004年12月16日(木)
中山道その9 鳥居本宿〜高宮宿〜愛知川宿〜武佐宿
今日は持っていったデジカメが、バッテリー切れで最初から使い物にならなかったので、旅日記を旅道具スタイル解説にしてみようかなあ〜(情けない、確認していけよ!うちの桜井が悪い!)。鳥居本宿の駅を下りたとたん時雨始め、早速雨具を身につけるはめに。実はこれまでは雨具は携帯せず傘だけでしたが、どうも米原周辺は、旅の道中でもいつ通過しても雲が多く、時雨れてることが多い体験から、近江路に入ってからは常時携帯することにしました(当たり前か)。雲行きも怪しいままなので、今日は脱着のしにくいレインパンツは着っぱなしにしようと決断。はいていたパンツ(因果のクライミングパンツ、これがなかなか動きいいし、かっこいいんですよ)は濡らしたら最悪なので(綿製品のため乾かない)脱いで、中にはいていたタイツの上にレインパンツを!この方法中々動きやすくて蒸れにくいので、おすすめです。タイツは話題の筋肉補強タイプで僕はノースフェースのバイオトレックスタイツサーモという吸湿、保温機能のものをはいています(フェニックスの4DTもいいですよ)。レインパンツは、アクシーズクインのサーパスレインパンツを使っています(僕のはサイズ別注でレギュラーサイズをもう少しタイトにしてもらています)。細身のシルエットなので、雨合羽らしくないのがいいですよ、歩行時にもガサガサしなくて!レインジャケットはゴアテックスパックライトという軽量薄型を使っているのですが、このために用意した訳でなく、パックライトが新製品発売になった3年程前の夏山(4泊5日)登山(岩稜)に使ったのですが、寒いは、パンツは破れるはで散々でした。その後使ってなかったのが、中山道トレッキングに抜擢!適材適所ってとこですかね。とにかく今日は、曇り&時雨時々晴れ間がちらちら、午後2時頃から風速5m〜7mの時雨、木村さんの折りたたみ傘の骨が3本折れる程で、気象変化が著しく、着ているウェアーの真価が表れた日でした。コースは、高宮宿の多賀神社への玄関口の大鳥居が見事でしたし、ここも町民みなさんの歴史と文化の保存意識を感じました。通り過ぎそうになったふれあいの館(資料館)では御茶をご馳走になり、元気復活!ほんとに何処の宿に行っても、僕たちみたいに中山道を「餌」にしながらただ歩いてるだけの人間に暖かいですよ。感動!天候不順ということもあってここから先の武佐宿まではひたすら歩く「イケイケ」ウォーカーになってしまいました。残念!
2004年12月9日(木)
中山道 その8 関ヶ原宿〜今須宿〜柏原宿〜醒井宿〜番場宿〜鳥居本宿
今日は平日トレースだったこともあって、毎度の木村さんと2人のおじさんウォークカーでした。木村さん65歳になられるそうですが、とても見えなく、「ピリッ」とされてますよ、若い人と(僕のこと?)の触れ合い時間が多いのが要素のひとつかも?、その他の要素は本人に聞いてみないとわかりません。岐阜県を抜け、滋賀県に入って始めの宿、柏原宿は長さ1.4キロに及ぶ大きな宿場町で、町民一体で古い歴史を保存しようという意気込みが感じられ、僕たちも大満足でした。宿の中心辺りに歴史館がありますが、立ち寄る価値大で、スタッフの方々の暖かい迎えに感動!小さな歴史館なのですが、「解説していくと2時間半くらいかかりますかね」というスタッフの方に、すみません先を急ぎますものでと言って略式にしてもらいました。せっかくの情熱、わがままいってすみませんでした。今はこの資料館、山東町で管理されてるそうですが、来年2月から隣町の近江町、米原町の3つが合併して米原市になるそうです。でも、歴史館のスタッフの方々は合併せずにそのままにしてほしいものです。醒井宿には冷涼な水を好むハリヨという小魚(今回は見当たりませんでしたが)とバイカモという水藻が生息している地蔵川が流れており、僕たちもすくって飲みたくなるような水でした。摺針峠への道のりでは野生のサルが数匹道路に下りていました。僕たちを確認するといちもくさに、自分たちの陣地へと上がって行きました。陽気がいいので、散歩ってとこでしょうか?摺針峠は琵琶湖の展望が広がり、ここまでの中山道の絶景といえるでしょう。先週1回さぼってしまったので、来週か来来週に2日行程を1日トレースしないと予定通りに行きません。気合入れなきゃ!誰が同行してくれますかねえ〜!
柏原宿の手前の楓街道、でかい楓が連立してます。
田舎のおばあちゃんは元気!柏原宿にて

鳥居本宿は合羽生産がさかんだったとか
2004年12月1日(水)
中山道 その7 赤坂宿〜垂井宿〜関ヶ原宿
予定は今須宿でしたが、木村さんが「夕方用があって早めに帰りたいのいで私は関ヶ原まで・・」となれば、小林さんご主人は「今須までいって、また戻ってくるぐらいなら、関ヶ原でやめて、次回関ヶ原から行った方がスマートじゃん」と口撃され(おおげさですが)、それじゃと妥協してしまった。赤坂宿は杭瀬川のほとりの街で、昔はその流れが大きく、河川交通の要衛として賑わったといわれ、今でも常夜灯が残っています。大理石の有名街でもあります。ここから垂井宿、関が原宿までは古い街並みが保存され中山道を感じさせます。前回、前々回とも近代化された街並みのトレースで、午前の休憩はいつも喫茶店に入ってモーニングなんて旅だったので、皆さんから「今日もモーニングするんだろ?」と請求さて続けてました。「そう毎回毎回、喫茶店あっても入るもんか!」て心では反発してましたが・・・。大谷さんご主人はすごくモーニングを期待されていたそうです(すみません!)。関ヶ原宿はさすが、天下分け目の関ヶ原ですよ。歴史を街中で感じます。詳しくは徳川家康最後の陣地跡の近くに歴史資料館があるので是非立ち寄ってください。大人¥310の入場料ですが、あっという間に1時間は過ごせます。ここには関ヶ原古戦場めぐりのウォーキングマップも置いてあり、そのトレースにだけに行っても価値ありそうです。この時期は紅葉がきれいですよ(特にイチョウの木の黄葉が)。今回は今までで一番寒く、行動着にはパタゴニアのキャプリーン中厚のジップTに、ホグロフスのウィンドストパーのフリース2枚のレイヤードでベストでした。外気温平均12〜13度でした。
関ヶ原家康最後の陣地跡の
イチョウの黄葉


垂井の泉人にて
2004年11月24日(水)
中山道その6 加納宿〜赤坂宿
23日は火曜日だったので、お店はお休みでした。ということで、イトさんも飛び入り参加しちゃいました。今回はイトサンがレポートします。メンバーは4人。すーさん、木村さん、大谷奥さんに私と、この旅の常連です。超快晴の朝、加納宿を出発し、まずは街中をウォーク。今回は木曽三川を始め川越えが多い。渡し場跡がたくさんあって昔の人は、さぞ苦労しただろう。まず着いたのが、鏡島弘法というお寺。毎月21日は縁日で賑わうという。お参りをし、少し休憩。そして、このあと、今回の旅の一番のたのしみ、小紅の渡しへ。なんと長良川を対岸まで小船で渡してくれるという。船着場まで行くと、釣り人が2人。船は対岸。「誰もいないじゃん」釣り人が、「対岸に手を振るとくるよ」ほんまかいな?みんなで「おーい、おじさーん!」手を振ると、対岸の小屋からおじさんが出てきて、こっちに向かって船を走らせてきた。「すげー!ほんとにきたよ。」(あたりまえだ!)みんなで船に乗り込んで、対岸まで送ってもらった。川の水はきれいで、推定水深2〜3メートルの底まではっきり見える。長良川もまだまだすてたもんじゃないねー。魚もたくさんいるし。対岸について料金を払おうと思ったら「これは県がやってるからお金いらないよ」えー!ただですか。さすが観光の岐阜県。こういうものは残していって欲しいねー。長良川の堤防をのんびり歩き、あとはどちらかといえば街中ウォーク。すーさんの提案で車通りの多い所は一本裏道で安全に。途中喫茶店で休憩。コーヒーとボリュームたっぷりのモーニングセットを食べた。(イトさんなんでもあれこれ11/25を見てね)もう1箇所休憩した和宮記念公園は、おしゃれな日本庭園の公園。青、黄、赤と、紅葉のコントラストに囲まれながらお弁当。スタートは少し寒いくらいで、マムートの薄手のフリースを着ていましたが、このころにはぽかぽか陽気で中に来ていたジャックのポーラテックインナー1枚でも少し汗ばむくらいでした。足元はいつものローバーサッポロミッド。平地の舗装路でも長距離ならミッドカットの方が疲れにくい。いろいろおしゃべりしながら赤坂宿へ到着。美濃赤坂駅から電車で・・・と思ったら、次の電車はなんと1時間半後。待つより歩こう!というわけで大垣駅まで5キロくらい延長。全工程今回は30キロ。木村さんの万歩計も43600歩と新記録。木曽三川だけでなく、小さな川や、たくさんあった用水路なんかも水が透き通り、水草が生え、鴨や小魚がたくさん泳いでいたのがすごく印象に残り、歩きつかれた私たちをなごませ、楽しませてくれたせせらぎの区間でした。
鏡島弘法(乙津寺)頭が良くなりますようにお参り。

小紅の渡し。船を待つ哀愁のすーさん。(なんてね)

長良川堤防を歩く木村さんと大谷さん。

和宮公園。下界も紅葉が始まってます。

2004年11月14日(日)
中山道その5 鵜沼宿〜加納宿
うちの桜井ガイドの顧客の小林さんご夫婦と3人のウォーキングでした。奥様は、久しぶりのウォーキングと腰痛上がりを心配されていましたが、なんのその快調!今日はデジカメを忘れてしまったので・・・・、でも今回は昔の面影らしき雰囲気は全くといっていいくらいなく、近代都心化が進んだ宿場町間のウォークでした。論より証拠、パックの中には防寒具、着替え、傘、の3点だけで、行動食はもちろん、水筒さへ持ちませんでした。飲料水は自販機がいたるところに、昼食も食べる所がいたるところにと予測し、その通り10時には各務原のあべまき茶屋という和風喫茶で抹茶ぜんざいを、、お昼は13時に老舗のうどん屋さんで味噌煮込みうどんを、とても優雅で快適なウォークでした。しかし今朝は、今季一番の冷え込み?かな(あまりにも暖かい日が続いたのでそう感じたのか)寒かったのでダウンインナーの半袖を着て出て正解でした。歩き始めは脱いで、ホグロフスの吸湿長袖Tシャツに、メスカリートのスポーツウールの半袖Tシャツを重ね、外着は以前紹介したパタゴニアのジャケットの3枚のレイヤードちょうどいい感じでした。目的地の加納宿も古い道標を注意深く見ていくと、旧中山道の枡形を辿ることができ、本陣、脇本陣は碑が立っているだけで、当時をしのばせるものはないのですが、現代の広い道路をそのまま岐阜駅に向かってしまえば、もっと歴史を感じずに終わってしまうでしょう。

2004年11月1日(月)
中山道その4 10月31日 伏見宿〜太田宿〜鵜沼宿
前日の雨と、天気予報から中止にしようと思っていたところ「降水確率が下がりましたから行きましょう」と木村さんの電話で「それじゃ」と決行して正解でした。日差しはさほどありませんでしたが、蒸し暑い1日でした。実は、前回伏見宿までの予定を御嵩宿でやめてしまったので、今回は御嵩宿からスタートしました。今回のコースはほとんど国道21号線を忠実に辿るのですが、交通量が多く、排ガスで汚染されている国道を歩くのも・・・と思い、また地形図で検索。国道の北側、南側を行ったり、来たりしながらでしたが、まあ予測と実行がピッタリだったので(GPS使ってますからね)我ながら満足って感じです。僕たちのパックの中身はいつもと同じものを入れてのウォーキングでしたが、今回のように、現在の街から街といった雰囲気のところを歩くなら、空身でお昼時間にたどり着いたところの飲食店で食べるっていうのもいいかもね。途中、美味しそうなレストラン、日本食のお店、何店か目に入りましたから・・・。次回はその手で行こうかな?大谷さんご夫婦は、ご主人の運動不足気味を解消しようと続けて参加されています。山登りもされるのですが、「日帰りで鈴鹿のピークハントもいいけど、登山の事前運動にいいですよね、旅気分も味わえて」て感想をいただいています。調子に乗せられて、益々日本橋までのモチベーション上昇気味!
木曽川の流れに沿った遊歩道を歩く

唯一の地道、フィナーレうとう峠への登行
新たな発見!その2
今回は平坦だから楽々と調子のいいことを言って連れて行った「光芸社」の奥様、前回より距離長かったです。すみません!でも記録が更新されましたよ!今日様子を見に行ったら、前回より元気でした。「筋肉痛もないよ〜」ということでした。わずかの1回の違いでもヒトの身体は正直に答えを出しますねえ〜。さらに「継続は力なり」ですよ!エッ!「継続は疲れなり」だって?

2004年10月25日(月)
中山道 その3 10月24日 細久手宿〜御嵩宿〜伏見宿
瑞浪駅から細久手宿への道のりは長く、緩い登りが続くので、ほとんどの人がタクシーを使っています。僕は色気をだして中山道中街道(今はほとんど歩かれていません)を津橋まで歩きたくて、途中の明世カントリークラブまでタクシーを使いました。なるべく交通量のない道路を歩きたいため、地形図で検索しながらコース選択したのですが、地形図には載っていても実際には廃道に近いという道ばかりを検索したみたいで・・・・、結局廻りに廻って4キロ程余分に歩いてしまいました。僕の現場の検索ミスもありましたが・・・、みなさんごめんなさい!コースのハイライト、物見峠にはケーキとハーブのお店があって、シュークリームを食べて疲れを癒しました。お茶処の形態と食べ物すら現在とは異なりますが、当時も旅の疲れの癒し方は同じなんでしょうね。ウェアーについて感想をひとつ。今回パタゴニアのキャプリーンMW(中厚)という素材のジップアップを使いましたが、裏地の処理がなめらで、汗をかいてもベタつきを感じませんでした。僕はいろいろなポリエステル素材を使っていますが、快適性はトップレベルだと感じました。今頃の低山(1500m未満)の行動着にはいいですよ。肌に直接(下着を着ず)がおすすめです。故障していた、デジカメがやっと直ってきたので写真を少しづつ載せて行きます。
地形図とGPSを使って6〜7人で歩いています。

日本の田舎のらしいですね。都心では見られない風景ですよ!
新たな発見!その1
うちの店(穂高)の北側に光芸社さんとういうカメラ屋さんがあります。そこのご家族、親子3人で参加されました。奥様は初めての長距離ウォーキングでした。やはり後半はかなりグロッキー気味でしたので、今日お見舞いがてら様子を見にいってきたところ、思ったより元気に仕事をされていました。ご本人曰く「少し筋肉痛はあるけど、すごく気分も調子もいい」とおっしゃってました。日常での運動不足から循環機能の働きが鈍っていたのが、活発になったのでしょう。次回も参加されるそうなので、初めてと2回目の体感の違いも聞いてみたいと思います。数値的なデーターが出せないのが残念ですが、人間の体感も正確ですからね!ウォーキング、やはり「カラダ」に良さそうです!
2004年10月14日(木)
中山道 その2 10月11日 深萱立場〜大湫宿〜細久手宿
これを先に報告しなきゃ、11日の中山道ウォークラリーはまだ2回目ですが、美濃路、細久手宿まで進みました。中山道までの往復アプローチを含めて約25キロ、41500歩でした。参加者の木村さんは1日歩行数の自己更新といって喜んでみえました。私はこの日ミズノ社のフリーウォーキングシューズのオーダーシューズを履きました。歩行しやすさでは、前回使用したLOWA社のレネゲードより上回っていました。アッパーが柔らかい革を使っているからでしょう。次回からは耐久性にも着眼していきたいと思います。僕はガイドブックは手にせず、岐阜県の1/30000の道路地図とGPSでトレースしています。旧中山道や、周りの農道は道路は複雑ですが地形は単純という特徴から、GPSはわかりやすく重宝しています(店にも在庫しています)。うれしかったのは細久手宿から瑞浪駅までの農道で(一般ウォーカーはほとんどトレースしない)田んぼ作業のおばあちゃんから挨拶され、「どこからきなさった?」、「名古屋から中山道を歩きに・・」、「そうかね、こんなところまでありがとうございます!」 違う違う、お礼を言うのは、農道を歩かせてもらってる僕たち!「こちらこそ、ありがとう、歩かせてもらって」。人の温かさを感じた一時でした。僕が想像するに、夏、きっと蛍がいっぱいで綺麗だと思うよ!絶対見に行こ!

2004年10月14日(木)
ウォーキング
ホームページにもWALKのページが出来ました。これからウォーキング情報も盛りたくさん書き込みます。たかがウォーキングされど・・・ですよ!年間100日以上山登りを継続できれば、山登りのトレーニングは「山登り」が一番という結論を導けるのでしょうが・・・。ウォーキングが登山のトレーニングに向いてるとはいいませんが、便利社会にどっぷり浸かって生活していると、「運動」という行為や、言葉まで死語化されそうです。意思をもって何かに取り組まないと「あっ!」という間に老化(失礼)です。ウォーキングは最も取り組みやすい、気軽にできる運動ということは、すでに十分、メディアからの情報で承知してますよね〜。じゃ〜即実行!今秋、日曜祝日は(平日は?)「JRさわやかウォーク」企画で東海エリアフリーキップが発売されていて¥2040乗り放題。中山道、東海道の歴史街道を日帰りウォークするのに便利で、お得です。バスツアーと違って、団体行動じゃないのがいい〜ですよ。それにしても、お店に来店される登山のお客様で山登りのストレス(膝の痛みが圧倒的)を訴える方が増えましたよ!オーバーワークの結果なのか?日常の運動不足からなのか?どちらにしても登山て、環境・行為ともに不自由な要素が多いですよね。この不自由さをどれだけ認め、どのように自由さを追求するかも登山の楽しみのひとつ?です。「何言ってんだ、オレ」 そうじゃなくて、そんな時の一休みにも是非ウォーキングしましょう。と言いたかった。

2004年9月24日(金)
中山道 その1 9月23日 中津川宿〜大井宿〜深萱立場
うちのスタッフの伊藤君は下見を兼ねて、もう伏見宿までトレースしていますが(といっても2日分先です)、僕にとっては初めてのウォーキングでした。山は歩き慣れてるから、中山道ウォーキングぐらい・・・・のはずでしたが、34000歩を数えた運動は予想以上に疲れました。登山で1日に34000歩も歩きませんからね!運動そのものは共通するものがあっても、環境や時間が異なれば「それは、それ!」ということですね。これからの季節、2000m以上の高山(日本アルプス)は雪に閉ざされ、一般的にはその環境での登山が不可能になります。来シーズンの夏から秋にかけての高山の登山を快適、スピーディに行うためにも、これから4月まで、このようなウォーキングは季節的にも快適だし、よいトレーニングかもしれませんね!今回、シューズはLOWA社のレネゲードミッドカットを使いましたが、まだ1日なので評価が出せません。もちろん支障はありませんよ!次回は出来上がってきたミズノ社のODスペシャルミッドカットを履いてみます。たかがウォーキングですが、シューズ等を含めて僕の体感を伝えていきたいと思います。
 
穂高愛知県刈谷市桜町1-13 TEL/FAX:0566-23-8611 E-mail:info@hodaka-ski-mountain.co.jp
Copyright(C)2003 HODAKA All right reserved.